【彼女の視線の先にあるものは】高松塚古墳壁画について来村多加史先生が徹底解説! 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 高松塚古墳【後編】

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  • Опубликовано: 18 окт 2024

Комментарии • 31

  • @LoveLayLand3588
    @LoveLayLand3588 2 месяца назад +1

    詳しいご解説有難うございます。奈良に住み、高松塚古墳壁画は、私の作品にもよく参考にさせて頂きました。心から称賛と感謝致します。盗掘者の恥知らずな行いは、本当に残念ですが、今もなお残っている飛鳥時代の文化に強く心惹かれます。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  2 месяца назад

      コメントありがとうございます。
      高松塚古墳の壁画は、本当に素晴らしいですよね。壁画が残ったこと自体奇跡だと思いますし、それを後世に伝えていくことが、今を生きる私たちの責務と考えています。

  • @椿本祐弘
    @椿本祐弘 3 месяца назад +5

    いつも素敵な動画をありがとうございます。 いよいよ高松塚古墳壁画ですね。   (CAM)

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад

      ご視聴ありがとうございます。今回の動画は少し長くなってしまいましたが、分割するよりもまとめて聞いていただいたほうがいいかと思い、思い切って長めの動画にしてみました。

  • @mmasapon918
    @mmasapon918 3 месяца назад +2

    3月に高松塚古墳を見学しました。いつも思うのですが、2000年近く前の人々の各技術には感服致します。
    人間って凄いですね。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      >いつも思うのですが、2000年近く前の人々の各技術には感服致します。
      人間って凄いですね。
      まさにおっしゃる通りです。本当にすごい技術です。下手したら現代よりすごい技術を持っていたかもしれませんね。

  • @古太郎-z3g
    @古太郎-z3g 3 месяца назад +2

    教科書でしたイメージが湧かなかった古代日本人の容姿や服装も壁画を観るとより現実見出来ますね。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      おっしゃる通り、壁画を見ると、古代日本人の容姿や服装がよくわかりますよね。これが絵の持つ力でしょうか。
      壁画の女性たちはみんな、しもぶくれで目が細くて、この時代に生まれたかったぁ~、などと思ってしまいます(笑)

  • @aikoku.danzi-ch
    @aikoku.danzi-ch 3 месяца назад +2

    このバックミュージックは凄く落ち着くので五もそこも楽しみにしております☺️

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      >このバックミュージックは凄く落ち着くので
      そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます♪

  • @中村治-u8s
    @中村治-u8s 2 месяца назад +1

    壁画の説明に感嘆しきりでした。ありがとうございます。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  2 месяца назад

      >壁画の説明に感嘆しきりでした。
      嬉しいコメントありがとうございます。来村先生の解説は、本当にわかりやすくて面白いです。

  • @kamekame_asuka
    @kamekame_asuka 3 месяца назад +1

    壁画の解説を、こんなに詳しくお聞きするのは初めてで、すごく勉強📖になりました🧐
    ここに描かれた人物が、そんなに楽しそうにしているっていうのも、
    言われてみればわかる気がしますね。色々イメージが湧いてきました☺️

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      いつもありがとうございます♪
      来村先生の解説、楽しんでいただけたようで嬉しいです。壁画に描かれた人物たちが生き生きと動き出すようでした。

  • @小川邦子-q6u
    @小川邦子-q6u 3 месяца назад +1

    詳細な説明ありがとうございます。
    被葬者のいちばん華やかで楽しかった時の様子を描き、そこに一緒に行きましょうと誘う絵であったとか、、。
    死者の魂はどんなに安らかに幸せな気持ちで旅立たれたことでしょう。
    死者を思う当時の人々の優しい心に胸を打たれます。涙が止まらなくなりました。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад

      >死者を思う当時の人々の優しい心に胸を打たれます。
      素敵なコメントありがとうございました。おっしゃる通り、死者の魂を安らかに旅立たせたいという、残された人々の願いのようなものがひしひしと感じられます。考古学的な追及もさることながら、古墳はお墓で、誰かが埋葬されていたということを忘れてはならないと思いました。

  • @kamochiyan1471
    @kamochiyan1471 2 месяца назад +1

    梅前さんお久しぶりです。
    実は、来週10日(東京発は9日夜行バスで)
    から10日間明日香と奈良を再訪します。
    今回は昨年訪れた所に加えて。、(次の動画
    の)中尾山古墳や飛鳥工房遺跡(と酒船石遺
    跡亀形石像物(酒船石本体含む))、と亀石
    (今回は飛鳥資料館レプリカではなく本物)、
    岩尾山古墳も牽牛塚古墳見学後に動画で
    紹介されていた経理で(途中道標も見つつ)
    行ってきたいと思っています。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  2 месяца назад

      コメントありがとうございます♪
      夜行バスでいらっしゃるんですね! 一時期私も夜行バス(バスタ新宿から桜井駅)を使っていたことがありますが、結構疲れるんですよね~(汗) どうかお疲れの出ませんように。飛鳥を楽しんでくださいませ♪

  • @民草1
    @民草1 3 месяца назад +1

    民草1号:アメノウメ皇女様、この季節になると雨の中の彷徨や、大和川の濁流の場面が思い起こされます。
    最近は、喜多村先生といいコンビで、お二人の解説が非常にわかりやすいです。

    • @民草1
      @民草1 3 месяца назад +1

      来村先生のお名前失礼いたしました。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      いつもご視聴ありがとうございます♪ 来村先生の解説は本当にわかりやすくて楽しく、講演会の最前列で聴かせていただいている感じです。動画内でも言っていますが、来村先生は本当に大人気の先生で、追っかけまでいるくらいなんですよ(笑)そんな先生に御出演いただいて、本当に光栄です。視聴者の皆さまにも楽しんでいただけているようで嬉しいです。

  • @あまべまろ
    @あまべまろ 3 месяца назад +2

    先生の解説で、壁画のストーリーがよく分かりました。
    被葬者の魂を留めるのではなく、外に出そうとしているというのは意外でした。身体はここに残しているが、魂は解き放たれて自由になる・・・現代の仏教とはまた少し違う世界観に思えます。打毬が上手な皇子さまかな?
    それから、ずっと疑問に思っているのですが、壁画は描かれているのに文字は見当たりませんよね?すでに漢字は使われている時代ですが、何故でしょう。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      >現代の仏教とはまた少し違う世界観に思えます。
      おっしゃる通りですね。仏教が入ってきて久しい時代ですが、わが国古来の習慣もあったのでしょうか。
      >壁画は描かれているのに文字は見当たりませんよね?すでに漢字は使われている時代ですが、何故でしょう。
      確かに! 言われてみて気が付きました。文字の入った刀や鏡は埋葬されていることがあるのに、壁画に文字はありませんよね。壁画文化が入ってきた際、そこに文字は書かないのが主流だったのかもしれませんが、詳しいことはわかりません。今度来村先生にお目にかかる機会があったらうかがってみようと思います。

  • @takedaharuki
    @takedaharuki 3 месяца назад +2

    素晴らしい解説です。NHKのスペシャルよりもじっくり聞いてしまいました。龍の位置が低い。言われると確かにバランス的に納得でした。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      >龍の位置が低い。言われると確かにバランス的に納得でした。
      ありがとうございます。青龍が公園をお散歩するペットみたいになっている、という来村先生のお話には、爆笑しながらも感心しました。画家としては苦渋の決断だったと思うのですが、今頃黄泉の国で「ペットかぁ、うまいこと言うなぁ」と笑っているような気がします(笑)

  • @昭和の残滓Z
    @昭和の残滓Z 3 месяца назад +3

    この古墳の被葬者が誰かについては、やはり触れるのはよろしくないのでしょうか?
    私共素人にとってはそれが最大の関心事です。
    著名な先生が、忍壁皇子説を唱えておられて、壁画は朝賀の儀式の様子を描いたとして、忍壁皇子が大宝律令の制定の功を以て颯爽と参内する様子だと仰ってますが、
    それには納得しがたいと思っております。
    来村先生の仰る「最高級の人物」・「太政大臣」や天文図の存在から、
    天皇またはそれに準じる人物ということになり、皇子の序列を考慮したら忍壁皇子は難しいのではと思ってます。
    歯の鑑定結果から、早逝した弓削皇子も当てはまらない。
    (ここは梅原先生の説でも賛同できないところです)
    私は、被葬者高市皇子説を支持します。
    天皇またはそれに準じる人物(「太政大臣」、「後皇子尊」)、「梅原先生の仰る『支配層が報復を恐れる人物』」・・・高市皇子しかいないと思ってます。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +2

      >この古墳の被葬者が誰かについては、やはり触れるのはよろしくないのでしょうか?
      おっしゃる通り、私たちからするとそのあたりが一番気になるところではありますよね。
      考古学者の先生からすれば、結論が出る話ではないし、具体名を出したら出したでさまざまな批判にさらされることになるので、積極的に語りたくはない、というところではないでしょうか。
      高松塚古墳の被葬者について、さまざまな皇子の名前があがってはいますが、今のところ、確定には至っていないようです。
      個人的には、高市皇子はキトラ古墳ではないかと思っています。(来村先生は違うようです)
      キトラ古墳のほうが高松塚より少しだけ古いので、高松塚を高市皇子とすると、高市より先に亡くなってキトラ古墳に埋葬されたのは誰?ということになります。
      こればかりは、いくら議論を重ねてもすべて推論にすぎないので、これしかない、と頑なに主張するよりも、ああでもないこうでもないとさまざまな意見を出し合って楽しむのが一番ではないかと思っております。
      長文失礼しました。

  • @youchan-mo3nn
    @youchan-mo3nn 3 месяца назад +2

    キトラと高松塚の二つだけ壁画が描かれたのか、他も描かれたけど消えてしまったのか、この二つの前後に造られた古墳とは期間が開いて描く習慣がなかったのか
    いろいろと疑問が出てきます。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      >キトラと高松塚の二つだけ壁画が描かれたのか、他も描かれたけど消えてしまったのか、この二つの前後に造られた古墳とは期間が開いて描く習慣がなかったのか
      おっしゃる通り、それが疑問ですよね。このふたつだけだったのか。それとも他にもあったのか。あったけれども消えてしまったのか。今もまだどこかに眠っているのか。
      マルコ山古墳に、漆喰だけ塗ってあって壁画はなかった、という話は、何かを暗示しているような気がしなくもありません。

  • @名古屋の白ウサギ
    @名古屋の白ウサギ 3 месяца назад +1

    盗掘犯は退散するとき盗掘穴を塞いで逃げて行ったのでしょうか?若しくは、犯行に気付いた当時の村人が穴を塞いで埋め戻したのでしょうか?もし塞がずに放置されていたなら、土砂や水が入り込んでしまい、壁画や漆喰壁は腐食していたはずです。不可解です。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  3 месяца назад +1

      >もし塞がずに放置されていたなら、土砂や水が入り込んでしまい、壁画や漆喰壁は腐食していたはずです。
      おっしゃる通り、不可解ですね。盗掘してほどなく、盗掘孔を土砂が埋め、密閉されたのでしょうか。そう考えると、あの壁画が残ったのは奇跡的なことだと思えます。